~節選自B-PASS (NO.1) 1996 年 5 月号 《マサムネワールド》~ |
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「女の人の二の腕って、すごくエロなものを感じることもあるし。逆に安らぎを感じることもあるし。すごく不思議なパーツだなと思う。しかも "鼻" とか "指" みたいな、パキッとした名称もないし。それで、そこにスポットライトを当ててみたくなって。好みの二の腕 ? オレねぇ、けっこう筋肉のわかる人が好きなんですよね。マッチョって意味じゃなくて、骨とか筋肉がわかる感じ。どっちかというと、体育会系の女の人みたいな。ノースリーブから出てる、自然に日焼けした二の腕とか。 そういうのがいいな(笑)」 「說到女人的胳臂(註:指肩膀到肘關節之間),有時讓人覺得無比性感,有時反而讓人有種安詳的感覺。相當不可思議的部位。也不像 "鼻子" 或 "手指" 一樣有個明確的稱呼。所以我企圖把焦點放在這個地方。喜歡什麼樣的胳臂?我嘛,喜歡筋肉分明的人。並不是虎背熊腰的意思,而是骨骼與肌肉分明的感覺。舉例來說,大概類似體育系的女孩子吧!從無袖上衣裸露出自然曬黑的臂膀。那樣的感覺很不錯呀!(笑)」
「 "タマシイ" って言葉は、けっこう使いたくなっちゃう言葉なんですよね。より本質の部分・・・外見でもないし言葉でもないし、態度とかにも現れない本質の部分。それを "タマシイ" って言葉で一生懸命あらわそうとしていたような記憶があるなあ」 「 "靈魂" 這個詞彙,已經變成我相當愛用的字眼了啊。更接近本質的部分 … 既非外表亦非言語,就連態度也無法表現出來的本質部分。記憶中是以 "靈魂" 這個詞彙試圖努力表現出那樣的部分。」
「 "ガイコツ" って、他人事のように言ってるけど、自分もガイコツなんだよね(笑)。不思議ですよね。誰もがガイコツ自身なのに、それをコワイものとして見ているというのは」 「說到 "骸骨",雖然好像在說別人的事一樣,但我們自己不也是具骸骨嗎?(笑)很不可思議吧!明明每個人都是骸骨,卻把它看做很可怕的東西。」
「月には生物がいて、しかも "黄色い月" と "真っ赤な月" と 2 つあるっていう設定を自分で勝手に作っちゃって。しかも、自分もその月で生まれていたとか・・・どんどん発想が広がっちゃって(笑)。 "月" をテーマに、どんどんどんどん勝手に天動説的な学説がふくらんできちゃってできた曲でした」 「我自己隨意地設定:月亮上有生物,而且有 "黃月亮" 和 "紅月亮" 兩顆月亮。而且,我自己也是在那樣的月球上誕生的 … 聯想不斷擴展開來(笑)。以月球為主題,猶如天動說之類的學說一樣,恣意地不斷地不斷地膨脹起來的曲子。」
◆湿った木箱:潮濕的木箱 「湿った木の匂い、あるでしょ。山とかにキャンプに行って、朝ちょっと早めに目が覚めてしまった時の匂い。夜露が降りてきて、それで木が湿って。あの匂いって、うれしいようなせつないような気がする」 「潮濕的樹木會散發一股氣味吧!就像到山上或哪裡露營,清晨早一點醒來時聞到的氣味。夜露凝結,所以樹木都是濕濕的。那種氣味,總讓人覺得有一絲絲雀躍一絲絲揪心。」
「アメリカ人がハンバーガーのことを歌っても全然 OK なのに、日本人が "しょうゆ" とか "うめぼし" みたいな食べ物のことを歌うと滑稽な感じを醸し出してしまうのはなぜなんだ !? と思って。ウケを狙っているのではない風に、そういう言葉を歌えたらいいなと思って使った言葉でした」 「我在想,美國人就算把漢堡唱進歌裡也完全 OK ,可是如果日本人唱 "醬油" 啦 "梅乾" 啦之類的食物,為什麼就是讓人覺得很滑稽呢!?撇開接受度不論,只是想唱看看那樣的詞彙就用了。」
「まだ日曜日が休みだった頃の歌です (笑) 。だから、 "すごく自由な日" っていうイメージでの "日曜日" 。休みになると、ひとりでドライブしたりして。その頃は奥多摩地区に住んでたんで、奥多摩とか近かったんです。それでどんどん奥多摩の奥まで行ったりしてた」 「當星期天還是休假日時期的歌曲(笑)。所以,是帶著 "無比自由的一天" 形象的 "星期天" 。一放假的話,經常一個人開車到處兜風。那時候住在奧多摩地區,離奧多摩一帶很近。 因此也就常常往奧多摩內地一路逛去。 」
「 "カワイイもの" と "戦車" の組み合わせという、アバンギャルドな映像がどんどん出来あがってきて。奥多摩あたりで、ガードレールとかをどんどん破壊しながら戦車でドライブしているような無邪気な 2 人が主人公 ( 笑 ) 」 「 既然是 "可愛的東西" 和 "戰車" 的組合,前衛的意象也就源源不絕衍生出來。主角是設定在奧多摩一帶,駕著戰車,一邊轟隆轟隆碾過街道護欄一邊兜風的,天真的兩個人(笑)」
「特定の場所があるわけじゃないんですよ。イメージ的には、大きな団地の真ん中にあるコミュニティ広場みたいな場所」 「並不是什麼特定的場所。只是印象式的,類似位於大型住宅區正中央的社區廣場的地方。」
「鈴虫って、こう、弱くって、だけど美しい声で鳴くっていう。それはそれで、すごく叙情的な歌詞が作れそうだったんだけど。それだけだと満足できないから "便器" って言葉とかを入れて、いったん便器の底に落としておいて・・・という(笑)。場所としては、その頃よく利用してた国分寺駅のイメージがありますね」 「鈴蟲的身軀是如此纖細,卻以美麗的聲音鳴唱著。所以原本是要寫成十分抒情的歌詞的。但是光這樣還不滿足,於是加進了 "便器" 之類的字眼,要是一頭栽進便器底部的話 ….這樣子(笑)。地點嘛,是當時經常往來的國分寺站的形象。」 註1:
◆ビートル(beatle):金龜車 Album「オローラになれなかった人のために」-3 「子供の頃にあったでしょ。ワーゲンを何台見たらラッキーとか。地方によって、ルールが違うんだよね。オレらは、水色のワーゲンを見たらラッキーとか言ってた。そういえば、オレは未だにそういうの気にしてて。ゾロ目のナンバープレート見るといいことあるとか、霊柩車見ると親指隠すとか(笑)。で、これは当時の生活圏だった甲州街道でシルバーのビートルを見かけたんで・・・」 「大約是孩提時期吧!據說如果接連看到好幾台福斯汽車(註:Volkswagen 德國車廠名,福斯汽車、大眾汽車。)的話會交好運。不同的地區有不同說法。在我們那兒,是說看到水藍色福斯汽車的話會交好運。說起來,到現在我還是很在意這個。如果看到每一碼皆相同的車牌號碼(number plate)就會有好事發生啦,要是看到靈車的話要趕快把大拇指藏到拳頭裡之類的啦 ( 笑 ) 。歌詞裡頭說的是,當時在定居的甲州(註:位於山梨縣東北部)街上所看到的銀色金龜車 … 」
「枕はね、すごく大事。ちっちゃいときから、あおむけに寝れないんですよ。横向きじゃないと寝られないの。気持ち悪くて。そういう横向き派は、特に枕の重要度は高いと思うんですけど(笑)。でね、ベッドから枕が落ちてもいいように、自分用の枕は 2 つくらいあった方がいいなぁといつも思ってる(笑)。 1 個抱いて、 1 個頭に置いてとかいう人もいますよね。抱き枕とか必要な人もいるよね、わかる気がする。ふとんを足ではさむ人とか、いますもんね。オレは必要ないけどね、横向きでうずくまって寝るから・・・ヒクツな寝方 ( 笑 ) 」 「枕頭呢,對我來說非常重要。從我還是小不點的時候起,仰臥是睡不著的。不側睡就無法入眠。很不舒服。像我這樣的側睡派,枕頭的重要性特別高(笑)。所以,為了當枕頭不慎從床上掉落時也能高枕無憂,我一直認為自身用的枕頭要準備兩個比較妥當(笑)。有些人是懷裡抱一個,一個枕在頭下對吧!我能理解為何有些人把抱枕當成必需品。也有人是腳夾著棉被睡覺的。我是覺得沒那必要啦,我只要側躺著弓著身就睡著了 … 卑躬屈膝的睡姿(笑)」
「人間の意識とか魂とかって、ジェルとか液体状のものじゃないかという仮説を立てたんですよ。人間のタマシイも、木とか物体に宿っているようなタマシイも最初は地球というでっかい塊に一緒に宿っていたもので。タライみたいなものからコップですくいあげられて、人なり物体なりに与えられて。だけど死ぬことによって、もう一度大きなタライに戻されるって・・・そういうことなのかなぁと。その象徴として "ジェル" って言葉を使ったんです。水ほど滑らかじゃなくて、ちょっとドロッとした感じ」 「姑且建立這樣的假說:人類的意識或靈魂,或許是近似凝膠般液體狀的東西喔!人類的靈魂也好,寄宿在樹木或物體中的靈魂也好,最初都是共同寄宿在名為地球的巨大塊狀物上吧。從類似臉盆的東西舀一杯靈魂上來,賜予人或物。但是由於死亡,再度倒回那個大臉盆中 …… 大概是這樣子吧。作為這樣的象徵,而使用 "凝膠" 這一詞。 不像水那麼滑溜,而是有點黏稠的感覺。」
◆ペニスケース(penis case):陽具護套 Album03-8 「高校の頃に本多勝一さんの『ニューギニアの高地人』っていう本を読んで、カルチャーショックを受けて。一般に未開だって言われている人たちの生活には、実は近代文明社会にはないような深い文化があって。都会で生きてる人間は麻痺しちゃってるような感覚っていうのをまだ保ち続けているんだよね。ペニスケースをかぶせて衣装にしてる人たちにとって、それと全裸とは全く意味が違うらしい。そういう価値観が印象的で、ペニスケースって言葉をいつか使いたいなと思ってて。オレの着てる服はちょっと人のとは違う・・・みたいな、そういう意味で使ったんですけどね。聴く人によって、いろんな方向にイメージの破片が飛び散る言葉かもしんない」 「高中時讀了本多勝一先生所著的『新幾內亞的高地人』這本書,受到相當的文化衝擊。一般被稱為未開化的人種,實際上其生活卻擁有近代文明社會所欠缺的深刻文化。生活於都會的人們已經麻木不仁的感覺,他們卻依然繼續保有著呢。套上陽具套就等於身著蔽體衣物的人們,對於他們來說,那可是和全裸的意義完全不同的。將這種價值觀作為印象,因此我一直想哪天把陽具護套這詞寫進歌裡。類似 "我所穿的衣服,和別人有點不同" …在這樣的含意上使用。隨著聽歌的人不同,意象的斷片也會朝向各個方向四散紛飛。 」
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「曲を作る前に浮かべたイメージは "安息の星" 。『星の王子さま』に出てくるような、直径 100 メートルくらいの星があって。しゅろの木がポツンと立ってて、そこにスーツケースひとつ持ってやってきた・・・みたいな。それを "しゅろの星" って名づけちゃったの。 "しゅろ" って言葉の響きもいい、南国の木という雰囲気だし。やっぱり、個人的には鹿児島のイメージなんですよね。指宿温泉とか、そういう楽しくてあったかい場所」 「在創作這首曲子之前腦中所浮現的意象是 "安息之星"。就像在「小王子」一書中出現的,有顆直徑約莫 100 公尺 的星球。棕櫚樹高高矗立,提著一只旅行箱翩然到來 …… 類似這樣。我把那命名作 "棕櫚星"。 "棕櫚" 這個詞彙的發音真好,有種南國樹木特有的氣氛。真要追究起來的話,是我個人觀感中對鹿兒島的印象吧!像指宿溫泉那樣,歡樂而和暖的地方。 」
「実は去年、初めて飼ったんですよ、シーモンキー。飼ってみたら、けっこう悲しい生き物だなぁと思った。シーモンキーって、単に実験生物っていう規模の概念しかない。ルックスも、エビの出来損ないみたいで全然カワイクないし。最初は粉薬みたいな袋に入ってるしね。でも、やっぱりこれも生命なんだあって思うとすごく不思議な気がしてくる。見てると、それなりに楽しめて飽きないんですよ。はかなくて、かわいそうな生き物なんだけど奥深いものがあって」 「其實去年我第一次養sea-monkey 喔。養了之後覺得,sea-monkey 真是一種悲哀的生物啊。說到sea-monkey ,只是大致上有個實驗生物的概念而已。連外表看起來也像是殘廢的蝦子,一點都不可愛。 最初買來時就像藥粉一樣裝在袋子裡。然而,想到 "這畢竟也是個生命啊" 不可思議的感覺油然而生。看著看著,竟然也挺有趣的,一點也不覺得膩哩。雖然是生命極其短暫的可憐生物,卻有很深奧的內涵。」
「 "ニノウデ" もそうだけど、身体のパーツの一部分に焦点をあててみるというのがクセとしてあって。一歩間違うとヘンタイなんだけど(笑)。それをヘンタイととられないような歌に料理するのが楽しいですね。女の人の "骨" が見える瞬間がエロチックに見えたりすることはありますね。筋肉とか骨とか、女っぽくないとされているものが見えることが逆にエロチックに見えるのかもしれない」 「我習慣把目光焦點集中於身體構造的某一部位,就像 "胳臂" 也是這樣。要是稍有偏差就是變態了(笑)。把這種地方處理成不會被視作變態的歌,還滿好玩的。猛然瞥見女人 "骨架" 的瞬間經常帶著情色的眼光來看吧。像肌肉啦骨骼啦,這些被認為一點女人味也沒有的東西一旦展露出來,看起來也許反倒帶有色色的味道。」
「そのまま、自分の生活ですよ(笑)。学生の頃は、毛布をクリーニングに出したりするのがめんどくさいし。 5 月くらいになると、いったんわーっとあったかくなって。もう毛布いらないやと思って、片付けたりするんだけど。 6 月になって雨が降り出して、急に寒くなったりすることがあるじゃないですか。その時にまた毛布を引っぱりだしてくると、カビ臭くなったりしてるんですよね」 「就是那樣子,我的生活(笑)。學生時代,拿毛毯去送洗實在是很麻煩的事。一到 5 月左右,天氣就會忽然一下子暖和起來。想說已經不需要毯子了,就收起來了。到了 6 月開始下梅雨,不是有時會突然變冷嗎?那時再把毛毯拉出來時,常常就發出一股霉味啦。 」
「フィオルッチだっけ ? ありますよね。ライター。後から知ったんですよ。けっこう有名らしい。なんか、何を見てもハート型に見えちゃうようなラブラブな感じを出したくて。ライターもハート型!とか思ったんですけどね」 「是 FIORUCCI (注:義大利知名時尚品牌)嗎?好像發賣過喔!打火機。我是後來才知道的。好像很有名。想表達出反正不管看到什麼都會看成心型般、喜孜孜的戀愛感。連打火機看起來都是心型!我是這麼構思的。 」
「なんだか悲しい。古くて、薄くて、木の枠で・・・というイメージ。昭和 40 年代の、古い木造住宅って感じかな。雑巾でふくと、ちょっと透明っぽくなったりして。爪で引っかくとイヤな音がする。ビー玉でも、すりガラスのビー玉があるんですよ。オレ、 "すりビー" って呼んでましたけど。それがいちばん好きだったし。向こう側が見えないんだけど、光だけが通されるような。そういう感じ、どことなく魅かれるんですよね」 「似乎帶點傷感氣息。陳舊而單薄的木框 … 這種印象。昭和 40 年代的老舊木造住宅的感覺吧。用抹布一擦,頓時變得帶點透明感。用指甲去刮會發出令人發毛的聲音。 玻璃彈珠當中也有毛玻璃的彈珠喔。我都把它叫做 "毛珠珠" 。最喜歡這個了。 望不見另一側,只有光線透過去而已。 那種感覺,總覺得哪兒很迷人呢。 」
「小学校に入ってしばらくするまで、蝶々結びができなかったんですよ(笑)。一生懸命教えてもらったんだけど、ダメで。だから、結べるようになった時にほどくのがもったいなくてね(笑)。給食エプロンを後ろで蝶々結びにしても、ほどくのがもったいない。だけど、またそれをゆっくりほどいていく時の快感というのもあって(笑)。将棋倒しみたいな感じですよね。作ったものをはらりと壊していく。思い切り壊すんじゃなくて、穏やかに壊すという」 「一直到上了小學一陣子的時候,我還不會打蝴蝶結呢(笑)。雖然大家拚命教我了,還是學不會。所以,當我學會之後就捨不得解開了(笑)。綁好營養午餐圍裙繫在背後的蝴蝶結之後,也捨不得解開。不過,將蝴蝶結再度緩緩拉開來時會有股快感(笑)。就像推倒骨牌時的感覺吧!把做好的成品輕輕巧巧弄壞掉。不是一鼓作氣去摧毀,而是不疾不徐地破壞掉。」
「ずっと使いたかった言葉。過去にもいろんな歌で使おうとして断念してきたんだけど。ここで "ついに!" って感じ。オレは "スカート・フェチ" とか言われてるけど、 "浴衣はもっといいぞ" と(笑)。女の子の浴衣も好きなんだけど、男の浴衣もいいな。いつか粋に浴衣を着れる男になれたらいいなって思ってるんですよ。下町のおじいさん、みたいな感じでね」 「一直很想用的詞彙。過去很多歌都想用看看,但最終還是打消念頭。在這裡有種 "總算用上了" 的感覺。雖然我老被人家說有 "戀裙癖(skirt fetishist)" 什麼的,不過我還是要說 "浴衣更讚啦!"(笑)我喜歡女孩子的浴衣,不過男生的浴衣也不賴呀。我總想要是有一天能成為身披浴衣的優雅男性該多好。像是住在下町(老街)的老爺爺一樣的感覺。」
◆ペットボトル(PET bottle):保特瓶 Album06-5 「軒先に置いてある、猫よけのペットボトル。東京は多いですよね。福岡ではあんまり見たことないなぁ。でも、最近減ったでしょ。あれ、実はあんま効き目ないらしいですよ」 「擺在前門屋簷下的,趕貓的保特瓶。東京很常見呢!福岡倒是沒怎麼看過。但是,最近也少見了。那個,其實不太有效的。」
「ダンボールを引き裂くって、なんかボロボロ~っていう独特の感触があるでしょ。ダンボール箱って "いつか使うかも" と思って全部ペタンコにしてとっておいたりすることがあって。結局使わなかったりするんだけど。その大事なダンボールを引き裂くということは・・・なんて、すごい貧乏性だな(笑)」 「撕開瓦楞紙時,不知為何有種斑斑駁駁~的獨特觸感喔。說到瓦楞紙箱,常想著 "搞不好哪天派得上用場" 就全部壓平收藏起來,結果多半沒用到。竟然要將如此珍貴的瓦楞紙撕碎 … 為何覺得很窮酸啊(笑)。」
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